アルバニアはなぜ鎖国し、宗教を禁じ、ねずみ講の罠にハマったのか?

 

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ヨーロッパの中でも、とりわけ異色の歴史を歩んだ国──アルバニア。
かつては徹底した鎖国政策を敷き、宗教を完全に禁止した“世界唯一の無神国家”でもありました。
さらに1990年代には、国を揺るがす大規模なねずみ講事件が発生。国民の多くが財産を失い、国家が崩壊寸前にまで追い込まれました。

なぜアルバニアは、ここまで極端な道を歩んだのでしょうか。
この記事では、鎖国・宗教禁止・ねずみ講という3つの視点から、アルバニアの激動の近現代史をたどり、現在の姿までを紹介します。

この記事では、かつて内戦の危機から立ち直ったアルバニアの今を、旅行者の目線で紹介します。
現地の歴史や文化をもっと深く知りたい方には『地球の歩き方 中欧』がとても参考になります。

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鎖国国家・アルバニアの誕生

アルバニアはアドリア海沿岸に位置する国で元々はイリュリア人(バルカン半島西部やイタリア半島沿岸南東部に住んでいた民族)が住んでいた地域。周囲の大国に侵略を繰り返されましたが独立運動をおこし1913年に独立が承認され「アルバニア王国」として誕生しました。

第1次世界大戦でイタリアの介入が始まり、独立したもののすぐにイタリアに統治されることになりました。再度独立を計りますが、イタリアやドイツに侵略を受けます。この時に抵抗勢力のトップにいた共産党の指導者で独裁者エンヴェル・ホッジャによって独裁・孤立・鎖国へ、そして世界で最も貧しい国の1つに導くことにまります。

1946年―――独裁者エンヴェル・ホッジャのもとでアルバニアは人民共和国として北朝鮮と同じ共産主義政権を設立しますが、ホッジャの独裁体制は異常でその証拠となる書物や文献は残されていません。敵対勢力や政権掌握に不都合な人物は逮捕、拷問、殺害されたとされています。

ソ連や中国との関係悪化を背景に、アルバニアは国際的にも孤立し、国民の移動や情報の自由を厳しく制限しました。この時代、海外との接触はほぼ断絶され、経済や社会のあらゆる面で外部からの影響が遮断されました。

いつ大国が襲ってくるかもしれない、という恐怖から政府は極端な軍事政策を取り国民全員に武器を配給し戦闘態勢を作っていました。学校でも拳銃の撃ち方の授業が行われるほど。

ホッジスの独裁が始まる前のアルバニアは自給自足の社会主義国家で貧しくはあったが経済格差のない平等で平和な生活がありましたが、独裁が始まり、あるともわからない戦争に備えるため国家予算は軍事費にあてがわれ国民は貧困に苦しみました。

【30年前の配給の内容】
1か月 コーヒー豆200g
    砂糖   2㎏
    米    5㎏
    パスタ  10箱
1週間 パテ(肉)  500g
1日  牛乳  500ml


一人暮らしなら何とかなりそうですが、
家族を養うには十分ではありません。

世界唯一の無神国家──宗教の完全禁止

アルバニアは世界で初めて「国家無神論政策」が行われた国です。1946年以降、アルバニアは宗教を禁止しました。モスクや教会は閉鎖され、宗教行為は違法とされました。宗教指導者は追放されたり逮捕されました。信仰は「国家への裏切り」と見なされ、国民は厳しい監視下で生活することを余儀なくされました。あの中国の文化大革命よりも過激に徹底して宗教弾圧がなされたました。

この政策は、国家統制を強化する一方で、精神的な空白を国民に生み出しました。人々は表面的には平穏を保ちながらも、心の奥底では信仰や伝統を密かに守るしかありませんでした。

ホッジャの死後、民主化の波と共に宗教の自由も認められ、現在(2024年)アルバニア人の大半がイスラム教徒です。とはいえ、無宗教を強いられていたこともあって、宗教観が他国ほど厳格ではなくてオープンで、何を信じるかの自由を楽しんでいる感があります。

国を揺るがせた「ねずみ講」とは

民主化とねずみ講

独裁者エンヴェル・ホッジャ(1985年4月11日に心臓発作で死亡) の死後1990年代初頭、アルバニアは民主化への道を進み始めますが、鎖国状態だったため情報が乏しく世界経済を理解できていませんでした。

独裁者エンヴェル・ホッジャの政権下で国民は飢えに苦しみ餓死寸前までになったと言うのに、ホッジャが亡くなったとき悲しみ悲惨だったといいます。情報が遮断されている上に洗脳されていたということなのでしょう。外の世界を知らないということがどれほどの事なのかを考えさせられます。 またそのような政策が可能だったと、ちょっと信じられないです。

経済自由化の波に乗って、外国からの援助や投資を呼び込む始めると「投資会社」という大規模なねずみ講が発生しました。なんと!国民の3分の2もの人たちがねずみ講に参加して投資したのです。困窮した人々は、巨額の利益を約束するねずみ講に、一獲千金のチャンスだと考えて飛びついたのです。

1997年、投資会社大手の6社が一気に波状するという経済的な大打撃があり、国民の多くは財産を失った結果、社会全体が大混乱に陥りました。

銀行や企業への不信感は拡大し、国民の間には深い社会不信が残りました。この事件は、アルバニアの経済と政治に長期的な影響を与えた出来事です。

国家危機→復興へ

投資会社の倒産で国民の半数以上が預貯金を失い、政府の統制力が低下し、武器の略奪・地方での暴動・治安崩壊状態に至りました。

アルバニアがそこから立ち直るために取った主な手段を時系列で整理します。

📌国としての経済(マクロ経済)の安定化
国際通貨基金(IMF)からの緊急支援・構造調整プログラムが導入されました。国際社会の支援を受けながら、政府はお金や銀行の仕組みを整えました。税金の制度や法律も整え、国内の秩序を取り戻していったのです。

翌年の1998年には成長が回復し、インフレ率も大幅に低下。例えば1997年のインフレが約42%だったのに対して1998年末には約8.7%にまで下がりました。

📌制度や行政改革
公的機関の再編、税制改革、銀行・金融制度の整備、また民営化、小中企業援助なども行われ国内外の信頼回復のために、透明性・法の支配・行政の能力強化が重視されました。

📌国際的な統合と援助の活用
欧州・国際機関との関係強化や、国外からの送金・投資の回復が進みました。観光・サービス産業などの開発育成

鎖国と混乱を乗り越えた現在のアルバニア

鎖国や宗教禁止、社会混乱を経たアルバニアは、徐々に改革と発展を遂げています。
首都ティラナはカラフルな街並みと活気あふれる文化が特徴で、観光業も盛んです。若者世代は海外との交流も活発で、新しい価値観を受け入れつつ、過去の歴史を学びながら社会を築いています。

街中高級車だらけ共産主義時代は車を持つ事が禁止されていたので、

その反動らしい


一方で、旧共産時代の建築物やバンカー跡は街に点在し、過去の影を今も物理的に残しています。こうした建築は、国家統制と孤立の時代を象徴する存在として、歴史の教訓を伝え続けています。

鎖国とか独裁などの黒い歴史のイメージが強いアルバニアですが、その期間はたった100年の間だけで、3000年を越える素晴らしい歴史が残っている素晴らしい国でもあります。

オスマン帝国時代に築かれた歴史的建造物が残っている山間部の石造りの街ベラト。

また国土の3割が農業用地で、小麦・オリーブ・ぶどう・オレンジなどの栽培が盛んにおこなわれている農業大国です。首都ティラナを出ると広がる大自然。その中で昔ながらの街なみと暮らしを維持している人たちもいます。

まとめ

共産主義時代のアルバニアでは自分の欲を持つ事も伝えることも禁止されていました。日々食べていくための配給を受けるために働き詰め。政府上層部の豪遊を知ったうえで、反抗も許されない。

全く情報が遮断されていたかと言うと、そうではなく、地域によっては電波が届きラジオで海外の情勢を知っていたといいます。その上でなお自国のルールに沿って生きないといけない事の残酷。知らないでいた方が幸せな事ってあると感じます。

しかし一方ではすべてが悪かったわけではない、良いこともあったというい考え方もありました。

  • 医療制度
  • 教育制度
  • 言い争う理由がない
  • 明日の暮らしを心配するストレスもない
  • 大学の学費を払わなくてもいい

自由はなかったが確かな生活は存在していた。お金がなくても病気になっても心配しなくていい、そんなシステムだったと。

私の固定観念では共産主義はネガティブで暗いイメージしかありませんでしたが、そのなかでもポジティブな意見を持つ人もいるということを知りました。

不自由の中にも安心があり、自由の中にも不安がある。どちらが正しいということではなく、「どんな世界にも光と影がある」ということ。アルバニアの歴史を知ることは、私たち自身の“生き方”を考えるきっかけになるのかもしれません。

現在アルバニアでは観光地としての整備が進められ、数年後には急成長している国と予想されます。その時に今のような手付かずの自然、素晴らしい光景が見られるかわかりません。

「99%の日本人が来ない国」と言われていますが、実際に行かれた中には「アルバニアに移住したい」とまで言う人も。現在のアルバニアは、手つかずの自然と素朴な人々が魅力の国。もし“世界の原風景”を感じたいなら、アルバニアはまさに穴場です。

📌参考書籍リスト
👉アルバニア旅行ガイドーかつてないアルバニアの魅力を発見できる2026年版アルバニア旅行ガイド

👉トップバルカンー陽光が降り注ぐアドリア海沿岸から、何世紀もの歴史が息づく石畳の首都までの没入型ガイド

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