PR 本ページにはプロモーションが含まれています。
4月13日は『喫茶店の日』です。みなさんは知ってましたか?私は今日初めて知りました。調べてみると『喫茶店の日』は日本に初めて本格的な喫茶店「可否茶館(かひいさかん)」が開業した日で、この開業を記念して『喫茶店の日』が誕生した、とありました。
でも、いかに本格的な喫茶店と言えども、記念日とされるほどの特別な何かが「可否茶館(かひいさかん)」にはあったのでしょうか?喫茶店の日の意味と由来の深堀りしてみましょう。
4月13日は喫茶店の日の意味
4月13日は『喫茶店の日』ということで『喫茶店の日』て何?と疑問でしたが、冒頭でも書いたように日本に初めて本格的な喫茶店「可否茶館(かひさかん)」が開業した日なのだとか。
だから何?と思いましたが『喫茶店の日』として記念日として制定されるくらいだから、何か特別な喫茶店なのでしょう。
「可否茶館(かひいさかん)」は1888年(明治21年)の4月13日、東京・上野(下谷上野西黒門町)に開店した日本初の本格的なコーヒー喫茶店です。
4月13日は喫茶店の日の由来の”可否茶館について
可否茶館の読み方
『可否茶館』を見た時に全く読めなくて想像もつきませんでしたので検索をしてみました。すると「かひいさかん」と「カツヒーさかん」の二通りが出てきました。どちらにしても馴染みのない言葉ですね。
でもすでにお気づきの方もいらっしゃるでしょう。私も何度も「かひいさかん」と書いているうちに、ああ、なんだそう言うことかとやっと結びつきました。
「かひいさかん」のかひいはコーヒーのことですね。まあ、想像に安いことなのでしょうけれど明治時代にコーヒーの当て字が「可否」となった経緯が気になります。
現在ではコーヒーを漢字で書くと「珈琲」と書かれますが、王へんを除くと「加と非」になっていますね。可否と加非の意味は違いますが、読みは同じです。
可否茶館の創設者
可否茶館の創設者は鄭永慶 (ていえいけい・西村鶴吉)です。
鄭(てい)家は鄭成功の末裔と称して明朝滅亡後にその遺臣として日本に亡命して定着した一族です。
家は代々唐通事で父親は外交官。明治7年エール大に留学し帰国後は岡山で教職につきますが、辞職し東京で大蔵省に入省。29歳のときに大蔵省を辞職した後、明治21年、借金をして父親の土地に2階建ての西洋館を新築し可否茶館として4月に開業しました。この時、永慶30歳。
もともとは育英事業として学校を開設したい、という目標もありましたが最終的には喫茶店として開業しました。その理由は明治16年に開設された「鹿鳴館」に対する対抗意識があったからだとされています。
鹿鳴館は上流階級だけのための「社交場」で、中産階級や若者たちが踏み入る事ができない驕った社交場でした。永慶が目指したのは大衆庶民や学生、青年のための社交サロンで珈琲一杯のお金で知識を共有できる場所。
そんな高い志を持った永慶が開業した可否茶館でした。
可否茶館はどんな喫茶店?
200坪の敷地に五間と八間(約45×72m)の2階建て木造洋館です。横幅が72mもあるって、ふすまに換算したらふすまが1枚90cmですので約80枚です。
1階にはトランプ、玉突き、クリケット、碁、将棋が揃えられ、皇室や化粧室、シャワー室、調理場などの設備も備えられていました。
2階に喫茶室があり、丸テーブルや各テーブルが配置され椅子は籐製のものが使われていました。文明開化に花を添えた当時の喫茶店の存在は、現在の喫茶店・カフェブームの基盤となったとされています。
世界大百科事典(旧版)内の可否茶館の言及によると
日本最初のコーヒー店は1888年(明治21)4月に東京下谷黒門町に開店した可否茶館だが,カフェとかカフェーを称する店の出現は1911年のことになる。その年の春まず銀座日吉町にカフェ・プランタンが開かれ,続いて8月に銀座尾張町角にカフェ・ライオン,11月に南鍋町にカフェ・パウリスタが開店した。
1888年(明治21)東京下谷黒門町にカフェをまねた〈可否茶館〉が開店したが,これは時期が早すぎて客の入りが少なく,すぐに閉店した。
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%AF%E5%90%A6%E8%8C%B6%E9%A4%A8-1290855
時期が早すぎて客の入りが少なくすぐに閉店した、とありますがコーヒーは1杯1銭5厘ミルク入りが2銭、もり蕎麦が8厘から1銭だったので、比較すると安いとは言えません。
思い付きはよかったのですが、時勢が早すぎたようです。4年経った後に経営不振で相場に手を出してしまいます。結局はうまくいかず、密航してアメリカ・シアトルに渡りますが鄭永慶 明治28年(1895)7月17日にシアトルにて死去。37歳でした。そして日本で初めての喫茶店『可否茶館』は幕を閉じました。
可否茶館の場所
所在地は東京都台東区上野1-1-10 現在は三洋電機東京ビルが建っています。
今日(4/13)は「喫茶店の日」。ちょうど130年前、東京上野の地に、日本初の本格的喫茶店「可否茶館」がオープンした日です。今日はその跡地を訪ね、創業者の鄭永慶さんにご挨拶。道行く人は誰も気にも留めず、コーヒーカップ型の碑だけがひっそりとそこにありました pic.twitter.com/jShbrxnagp
— 影山 知明(クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店) (@tkage) April 13, 2018
可否茶館跡地の記念碑。 pic.twitter.com/zoivyUuZ
— 可 否 (@hzmhrs) April 13, 2012
135年前の今日(1888年4月13日)日本初の喫茶店である「可否茶館」が誕生しました、可否茶館は秋葉原の北側で、末広町と御徒町のほぼ中間に位置する現在の上野1丁目に存在し、跡地には「喫茶店発祥の地」の碑が設置されています、つまり秋葉原に隣接する場所が日本で初めての喫茶店の誕生地です pic.twitter.com/xtR2HRx0hS
— 天野マウス (@mouseunit) April 13, 2023
4月13日は喫茶店の日・意味と由来のまとめ
4月13日が『喫茶店の日』と制定されたのは日本で初めての喫茶店が東京・上野に開店した日だったからでした。創設者の鄭永慶は中産階級や若者たちが自由に知識を共有できる場として、若い世代の者たちにのために作った喫茶店でした。
当時にしては時代を先取りしたコンセプトで立ち上げた複合施設のような『可否茶館』は早すぎました。高い志で始めた事業でしたが、思うような運営ができず借金は膨れ上がり、相場に手を出した挙句に国外逃亡、という顛末に至りましたが当時そのような喫茶店ができたことは画期的で革新的なことにだったでしょう。
『可否茶館』がどんな建物だったのか知りたくていろいろ検索をしましたがみつけられませんでした、残念。
物語の続きを読み手の想像にて作っていく…というような短編24話から成る吉田篤弘作『月とコーヒー』は喫茶店の日に相応しい1冊です。
『月とコーヒー』吉田篤弘
— momo (@19momom89) April 13, 2021
ひとことで言って、本当に素敵。美味しそうなものがたくさんでてきて。ページをめくるたびに喫茶店のドアを開けるような、ヨーロッパの朝食の席におしゃまするような、古民家カフェを訪れるような、それぞれ暖かくて優しい世界でした。手元に置いておきたい一冊。#読了 pic.twitter.com/MIFe1tOxg0